11番~20番

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 11番 准胝観音

 

 ここから上は横堰地区になります。名前の由来は簡単明瞭、堰の横にある地区だからです。


 横堰地区の観音像は、昭和の移転時に個人宅の近くに置かせてもらい、管理していただけるようにお願いしたそうです。


 11番観音がある場所も、個人宅の庭です。登り側の法面の上にあります。

 12番 千手観音

 

 12番観音も民家の庭にあります。


 下り側に他の観音像とは少し形の違う千手観音があります。


 この奥は豚舎があります。


 個人宅前にある観音像はどれも綺麗に祀られていますので、見つけやすいです。

 13番 聖観音

 

 とはいえ、ここから少しの間は個人宅前に観音像がありません。


 アトリエ・ド・フロマージュが見えて来たら、降り側の道端に13番観音があります。電柱が目印です。

 

 湯道から県道までの移転は1962(昭和37)年から2年の歳月をかけて移転しました。


移転方法は人力か耕運機による運搬という重労働でした。

 14番 如意輪観音

 

 14番はアトリエ・ド・フロマージュの反対側。登り側にあります。


 フロマージュの反対にはJAの苗育成所があります。


 ですが、観音像は道下の水路近くにあるので、車で運転しながら見つけるのは困難です。


 フロマージュに寄った際はまわりも歩いてみてください。

 15番 聖観音

 

 14番観音を過ぎて、次の十字路、下り側に15番観音があります。

 

~観音像移転の話①~

  県道への移転は、若者5人(柳沢家門・小林義則・楢原聚・中野勉・尾崎忠義)が主に移転に従事しました。

 

 柳沢さんは湯の丸高原の地蔵峠にあるロッジ花紋の元オーナー。小林さんは百番観音がある鹿沢温泉・紅葉館の元ご主人でした。

 16番 千手観音

 

 ここから、また、民家近くの観音様になります。民家近くの観音様はいつも綺麗で、見つけやすいです。


~観音像移転の話②~

 楢原さんは2015年現在、唯一まだご存命の方で、今回、話を伺い、信州散策を更新しました。


 中野さんは町職員で楢原さんの実弟になります。


 尾崎さんも町職員で観光課にいたそうです。

 17番 聖観音

 

 17番観音も民家の裏手にあります。降り側になります。


 ここまで来ると、民家も多くなります。もう少し登ると横堰公民館が見えてきます。


~昔の移動手段①~

 県道が全通するまでは、公民館の場所にタクシーの駐車場があったそうです。


 田中駅から公民館までは車がこれるのですが、これ以上は登れなかったそうです。

 18番 如意輪観音

 

 横堰公民館から少し登ると、18番観音があります。今度は登り側にあります。


 これも民家の裏手にあります。


~昔の移動手段②~

 公民館まで来た人はここから徒歩で湯の丸高原や鹿沢温泉まで向かう事になります。


 そこで、楢原さんら横堰の住民が歩荷として荷物を運んだそうです。

 19番 千手観音

 

 19番観音は降り側になります。


 19番観音の道を挟んだ反対側には、アメダスの観測所があります。


 アメダスで東御市と書かれている場所の観測点がここになります。


 標高958m地点にある為、市内の大半の居住地域より低い気温が観測されます。

 20番 千手観音

 

 19番観音を過ぎると、Y字路が見えてきます。


 このY字路の分かれ目にあるのが大きめの20番観音があります。


 まっすぐ登っていくと、横堰地区内に入っていきますので、鹿沢温泉へは左側に進んで行ってください。


~観音像移転の話③~

 湯道に観音像があった頃、観音像は整然の道の脇にあった訳では無かった様です。


 畑の中にあったりして、思っていた様には無かったようです。なので、旧道のマーキングを地図にしましたが、大まかに見てほしいです。

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より大きな地図で 東御市~嬬恋村・百体観音 を表示