31番~40番

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 31番 十一面観音

 

 ここから先、県道沿いには民家が少なくなります。

 

 31番観音も草に埋もれがちな降り側にあります。


 もし、これより上へ徒歩で登ろうと考える方がいる場合は、もう山登りのつもりで登ってください。


 また、イノシシやクマがでる恐れも十分にあります。獣除けの装備も必要です。

 32番 千手観音

 

  数少ない民家が見えて来たら、登り側に32番観音があります。


 31番観音との間に湯道との合流地点があり、この32番観音のあった場所は今も昔も同じ場所にあります。


 これは、移転前から山で仕事をする人の目印になる家と観音像であったために、ここと35番観音を起点にして、他の観音像を配置したそうです。

 33番 千手観音

 

 S字カーブに入ると、登り側に33番観音があります。


 これで、1/3が終わりです。そのためか、少し大きめの観音像となっています。


 32番観音から先の湯道については、現在の県道とまったく同じではないようですが、この近辺にあったようです。


 また、32番観音には茶屋があったそうです。

 34番 十一面観音

 

 S字カーブを抜けて、直線に入ると、登り側の林の中に34番観音が見えてきます。


 県道ができるまではお茶屋のような店みたいなものが、沢山あったようです。


 一度横堰より山に入ってしまえば、今とは違い、水道もなく、食料も簡単には手に入れられません。


 炭を焼きながら、お茶を提供するのは良い副収入だったのでしょう。

 35番 聖観音

 

 次の観音までは距離があり、あるのか心配になりますが、登っていくと下り側に35番観音があります。


 35番観音も基準となる民家があった家で、動かしていません。


 山で働く人たちは、この2件を目印としていて、家の人の名前は知らなくても、32番の家とか35番の家といって特定していたそうでう。

 36番 聖観音

 

 35番から少し歩くと、登り側に36番があります。

 

~奈良原について③~ 

 戦後は開拓として切り開かれました。


 また、別荘ブームの時には軽井沢よりも標高が高い地区として、開発をすすめました。


 しかし、今は静かな地区に戻ってしまいました。

 37番 千手観音

 

 さらに進み、民家がなくなると、登り側に37番観音があります。


 奈良原地区もここで終わりです。


 36番観音と37番観音の間の崖下には、塩沢第一発電所があります。

 

 第二発電所よりも1年早い、1924(大正13)年にできた水力発電所です。

 38番 聖観音

 

 緩やかな上り坂を進んで行くと、登り側に38番観音があります。


 これも、車ではなかなか見つけ辛い観音像です。


 37番観音から41番観音にかけては、ほとんど湯道と同じです。


 この緩やかな上り坂はウバフトコロと呼ばれたそうです。

 39番 如意輪観音

 

 緩いS字の途中の降り側に39番観音があります。

 

 ガードレールの外側のさらに少し低く下がった位置に置かれているので、車で見つけるのはほぼ不可能なのではと思われる観音像です。


 ここまで来ると、本当に山の中を歩いてる気分になります。降り側には川のせせらぎも聴こえて、気持ちよく進むことができます。

 40番 准胝観音

 

 カーブを抜けて少し歩くと、登り側に40番観音があります。少し奥に入っています。

 

 40番観音も動いていない観音像の一つです。

 

 今は面影がありませんが、茶屋があり、観音像の後ろには農地が広がっていたそうです。

 

 また、楢原さんのお話では、楢原さんが子供もの頃に茶屋の子がここから祢津小学校まで通学していたそうです。

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